皆伝を取るまで 初段~四段時代

初段 ( beatmaniaIIDX 20 tricoro )

当時はアルバイトをしているわけでもなく、家庭用beatmaniaIIDXの環境もなかったので、月3000円のお小遣いでIIDXをプレイするお金を捻出していた。BMSはプレイしていたものの、操作デバイスがいわゆるアケコンではなかった。キーボードを用いたプレイは認識力の向上には繋がったものの、アーケードで要求される運指の練習には一切寄与することはなかった

5級や4級が想像以上に簡単で、初段なら受かるだろうと踏んで受験した。受験したのはゲームファンタジア平塚店だった。

beatmaniaIIDX 20 tricoro 段位認定 SP初段

1. Blind Justice Torn souls, Hurt Faiths SP NORMAL

2. with you... SP HYPER

3. GOLD RUSH SP NORMAL

4. I Was The One (80's EUROBEAT STYLE) SP HYPER

 

BMSで認識力だけはそれなりにあり、なおかつ同時押しが得意だった私はGOLD RUSHFULLCOMBO CLEARしながらI Was The Oneに突入、そのまま合格した。これがおそらく夏の暑さが本格化する前だったかと思う。

三段 ( beatmaniaIIDX 20 tricoro )

初段もまた余裕を持ってクリアできた私は、ほとんど期間を空けることなく三段を受験した。BMSでも、ちょうど☆7とか☆8をメインにプレイしており、同じレベル帯で構成される三段なら行けるだろうと、タイトーステーション小田原店で受験したのだった。

beatmaniaIIDX 20 tricoro 段位認定 SP三段

かげぬい Ver.BENIBOTAN SP HYPER

Presto SP HYPER

BRIDAL FESTIVAL!!! SP HYPER

CaptivAte ~裁き~ SP HYPER

 

運指を固定していなかった私にとって、この中で最も脅威となったのはPrestoだった。階段を主体とする譜面は、いわゆる北斗運指にはキツいものがある。皿がないのが幸いして瀕死になりながら抜け、持ち前のBRIDAL FESTIVAL!!!で回復、CaptivAte ~裁き~のラス殺しを無心になりながら叩いていたら合格していた。

四段 ( beatmaniaIIDX 20 tricoro )

ここまで一度も落ちることなく昇段していた私が初めて落ちた段位がSP四段だ。段位ゲージはよく硬いと言われるが、しかしまったく押せないのならば当たり前のように底につくのである。

なんとか4曲目まではたどり着けたのだが、R5の軸を孕んだ高速同時押し譜面についていくことができず不合格となってしまった。

beatmaniaIIDX 20 tricoro 段位認定 SP四段

1. era (nostalmix) SP HYPER

2. 虹色 SP HYPER

3. thunder SP HYPER

4. R5 SP HYPER

 

いくら同時押しが得意だからといって、自身の適正レベルより上の譜面が叩けるわけではなかった。だからこそ、鴨宮タイトーステーション で落ちてすぐ再受験し合格できた時は意味が分からなかった。しかしながら合格は合格であり、私はこの時点で四段になったのである。

四段ともなると主に☆8をプレイするようになった。この時、D SP NORMALにボコボコにされたのは今でも鮮明に思い出すことができる。

 

四段になって2ヶ月ぐらい経つと暑さは落ち着き、過ごしやすい季節になる。中学校と異なり、高校では修学旅行が2年次に行われた。私の高校は沖縄への2泊3日旅行––その最終日、沖縄の国際通りにあるゲームセンターに行ったのが固定運指の契機となるとはこの時の私には想像することはできなかっただろう。何が起きたかというと、そのゲームセンターでquasar SP HYPERをプレイし、壁にぶち当たったのである。

 

quasarは全譜面、トランスという音楽ジャンル特有の中速乱打譜面で、少なくとも当時はよく練習曲だとか地力の指標だとかになっていた。☆9下位ですら手こずっていた当時の私にとってquasar SP HYPERはかなり難しい譜面だった。譜面が全く見えないわけではなく、指が追いつかないのだ。そもそもの自身の運動性能の低さと、一部の指のみを使った北斗運指(トップランカーのDOLCE.氏が使うような多指北斗とは違う)は明らかに☆9に挑むには不足であり、ここにきてようやくそれぞれのボタンに対して使う指をただ一つ決めようと決意した。